列車紹介・乗車記

【惜別】最後のボンネット国鉄色 急行能登号乗車記【自分の原点】

『急行能登号 金沢行き』

 

自分の人生を変えた列車だった。

 

 

***

 

 

 

 

毎週のように、

 

 

『電車乗り連れてって』

 

 

と祖父に電話するほど、小学生の頃の自分は鉄道が好きであった。

暇さえあれば路線図を書き、駅名を覚え、時刻表を眺めていた。

 

 

近場ではあったが、毎月500円程度のおこずかいを貯めて、

高校生が通学で乗るくらいの距離を往復するのが好きであった。

 

 

自分の知らない世界

自分の知らない人に出会うのが好きだった。

 

 

そんなある日、いつものようにパソコンで時刻表を見ていると、

23時頃に上野駅を出発する、少し字体の変わった列車があった。

 

 

画像を調べると、ものすごく古く、年季が入ったような車両だ。

 

 

 

『この電車を、見てみたい』

 

 

 

父親に何度もしつこくお願いしたのを未だに覚えている。

 

その列車は、東京と金沢(石川県)を結ぶ夜行列車であり、

最寄りであるJR高崎線の鴻巣駅を、早朝5時に通過する。

 

今思えば、そんな小学生のワガママに付き合ってくれた父親には感謝でしかない。

 

なぜなら、もしあの時踏切に行っていなかったら、

鉄道が大好きであった中学、高校の自分、

そして今の自分はいなかったかもしれないから。

 

 

 

眠い目をこすりながら、踏切でその列車を見たときの衝撃は、一生忘れられない。

 

まだ人も少なく薄暗い中、轟音と共に猛スピードで通過していった。

一瞬の出来事であった。

 

 

クリーム色の車体に、朱色のライン。

昭和を感じさせるような、ボンネットの見慣れない顔。

昭和を生きていない自分ですら、昔懐かしいように感じた。

 

 

明確な理由があったわけではないが、

身体中の血が騒ぎ出すような感覚であった。

 

 

 

2009年7月4日、小学6年生の夏であった。

この日のことも、きっと一生忘れない。

 

 

お小遣いを貯め、父親と共に踏切で見た、『急行能登号』に一人で乗車した。

 

 

能登号は、上野駅地下ホーム16番線を、23時33分に発車する。

 

小学6年当時は、その時間に起きていることすら珍しく、新鮮だった。

 

 

 

能登号は、発車20分前である23時13分に入線してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

能登号が佇む地下ホーム16番線は、まるで国鉄時代かのような風景。

乗車率はかなり少なく、平日は特に空気輸送状態。

 

 

 

人生初めての夜行列車。

人生初めての一人旅。

 

 

 

 

 

 

 

車内には『ラウンジカー』という車両あり、

カウンターのような場所もある。

 

発車後も、ラウンジには人影がない。

 

 

 

 

新幹線ができる前までは賑わっていたのかな。

 

 

 

 

やがて上野を発車すると、普段は見ることができない深夜の車窓を眺めた。

 

当時は携帯電話も音楽プレーヤーもなかったため、

ポータブルCDプレーヤーを持参し、CDを聞いていた記憶がある。

 

 

能登号は金沢行きだが、自分は新潟県の直江津駅で下車する予定だった。

 

 

 

 

『直江津駅到着前に起こしてもらえますか?』

 

と車掌さんに頼むと、快諾された。

 

いつ寝たかは覚えていないが、直江津到着前には起きていたのを覚えている。

深夜帯は車内アナウンスされないので、気をつけないと乗り過ごしてしまう。

 

 

 

 

深夜帯は減灯されており、能登号の走行音だけが聞こえる。

直江津駅で降りる物好きは自分だけのようだった。

 

 

 

 

直江津駅到着時刻は、午前4時13分。

運転手交代をし、すぐに発車して行った。

 

 

 

これから2ヶ月後、2010年3月のダイヤ改正で、能登号の廃止が決定した。

理由は、車両の老朽化と利用客の減少。

 

 

 

ダイヤ改正の前日、ラストランである2010年3月12日、自分は上野駅にいた。

なんとかオークションで指定席券を落札することができたのだ。

 

 

 

 

急行能登号の発車番線は16番線から13番線へと変更されていた。

車両止めには大勢の鉄道ファン。

現在も、このホームを訪れると当時のことが鮮明に蘇ってくる。

 

 

能登号と同時に、同区間を走行する『寝台特急北陸号』も廃止されることとなった。

北陸号は、能登号より30分早い発車である。

 

 

人が多すぎて、やっとの思いで先頭を写したのがこの1枚。

 

 

引退を惜しむ鉄道ファンの歓声と、機関車の警笛がホームに響き渡り、最後の時。

自分はホーム中央付近で、ファンに埋もれながら泣いていた。

 

 

 

自分が大好きだったブルートレインの引退。

1947年から半世紀にわたって走り続けてきた列車の引退。

 

 

乗車したたくさんの人々の想いも乗せて走っている。

それを考えると涙が止まらなかった。

 

 

 

北陸号ラストランの余韻に浸るのもつかの間、続いては能登号が入線。

人混みをかき分けなんとか乗車。

 

 

 

吹き飛ばされそうなくらい、ボロボロの席種表示。

 

 

大好きな列車の2回目の乗車が、まさか最後になるとは。

 

23時33分、長い警笛ともに、上野駅を発車。

大勢のファンに見送られ、少々遅れての発車だった。

 

 

前回乗った時とは比較にならないほどの乗車率で、指定席は満席であった。

以前ガラガラだったラウンジカーでは、グッズ販売も行われていた。

 

 

 

能登号のラストランでは、忘れられないような出来事が起こった。

 

眠りから目を覚ますと、JR北陸本線の糸魚川駅付近で停車していた。

本来なら富山駅付近に到着している時間だったが、強風の影響で遅れているとアナウンスが入った。

 

 

そしてふと横を見ると、青い車体の列車が停車している。

なんとそれは、先に行ったはずの北陸号だったのだ。

 

 

 

北陸号も強風の影響で立ち往生していたらしく、

能登号と北陸号の並ぶ、かなり貴重な画を見ることができた。

 

 

 

 

島式ホームでの同時停車だったため並びは撮れなかったものの、

自分の”肉眼レフ”にはしっかりとその景色を焼き付けることができた。

 

 

富山から倶利伽羅峠を超え、終点の金沢には数分遅れての到着となった。

 

JR西日本の車掌の方も、能登号との別れを惜しみ、

金沢到着前に『さよなら放送』を行なっていた。

 

車掌と能登号とのエピソードが話され、アナウンスが終了すると、

車内は拍手に包まれていた。

 

 

金沢到着後、能登号は『金沢車両センター』に回送される。

 

自分は、元の乗る予定だった列車をキャンセルし、

能登号の姿が見えなくなるまで線路の先を眺めていた。

 

 

 

自分の大好きだった列車の引退は、寂しく、心に穴が空いたような気持ちだった。

 

 

 

それから、能登号に使用されていた車両は、

両端の先頭車両の2両を残して、全て解体され、バラバラになった。

 

先頭の2両は、『京都鉄道博物館』と『小松駅前ボンネット広場(福井県)』に

保存されることになった。

 

 

 

大学1年の冬、小松駅前で能登号の使用車両である489系との再開を果たした。

再塗装中であったため、見た目は当時とはかけ離れていた。

 

 

約7年前に、自分が実際に乗っていた車両が保存されているのは非常に嬉しく、

かつ不思議な感じもした。

 

 

能登号を知らない人にとってはただの”ボロボロの車両”かもしれないが、

自分にとってこの489系は”青春を共にした仲間”である。

 

 

車内に入って、座って、匂いを嗅ぐと、

 

 

 

当時聞いていた音楽

当時考えていたこと

当時と同じワクワク感

 

 

 

全部、全部、蘇ってくる。

 

 

 

鉄道は、移動手段であると同時に、

乗車した人々の想いを乗せて走っている。

 

そんな魅力的な乗り物だと、自分は思っている。

 

 

 

 

***

 

 

 

2018年現在、ほとんどの夜行列車が廃止、解体されてしまい、

もう乗ることはできない。

 

だが、自分にとって学生時代に鉄道に熱中した想い出は、掛け替えのない財産である。

 

 

鉄道を通して、旅行、ヒッチハイクをするようになり、

たくさんの人と出会うことができた。

 

 

自分が10歳の時にしたこの体験は、死ぬまで忘れないだろう。

 

 

ABOUT ME
ひろき
ひろき
2018年5月から、東証一部上場企業の子会社で仮想通貨メディアの執筆を開始、その後は仮想通貨メディアの運営・管理にも携わっています。 仮想通貨投資では、10万円の元手を200万円ほどに増やした経験もあり、ブロックチェーンの今後の発展に大きく期待しています。